1977年にヴァシュロン?コンスタンタンの創業222周年を記念して、ヨルグ?イゼック(Jorg Hysek)氏が222をデザインしたとき、それはブランドのデザインスタイルから大きく踏み出したものだった。だがそれと同時に、当時の流れにしっかり乗ったデザインでもあった。というのも、当時オーデマ ピゲやパテック フィリップ、さらにはIWCもスティール製の一体型ブレスレットを備えたスポーツウォッチを次々と発表していたし、なかには金無垢モデルより高い値段が付けられるものもあった。しかしヴァシュロンは、これらのブランドよりもはるかに長い歴史を持つ存在であり、その重みゆえにすぐには方向転換ができなかったともいえる。1977年の出来事は、ブランドがじっくり進化を遂げるきっかけとなり、やがて現代で最も人気を集めるコレクションのひとつであるオーヴァーシーズ誕生に繋がった。そして今、ヴァシュロンはまた時計の針を巻き戻そうとしている。


2022年にモデル誕生45周年を記念してヒストリーク 222のイエローゴールド復刻版が登場してから、ここまでの道のりは長かった。これは時計界で大いに評価され、コレクターやインフルエンサー、有名人など多くの人々に愛され、大きな反響を呼んだ。発表直後は入手が非常に困難だったが、最近では少し手に入りやすくなったという話も聞く。この復刻版はヴィンテージウォッチの魅力をすべて備えつつ、現代の信頼性とオリジナルを超える技術的?実用的な改良が加えられていた。ただコメントを見る限りでは、2022年の222復刻版を見逃したか、その時期に注目していなかった人も多いようだ。このモデルは意図的にオリジナルに忠実なデザインとなっている(ほとんどは、だが)。

ヴァシュロンへの注目がこれほど高まったのは久しぶりのことで、その影響でヴィンテージ222市場も盛り上がりを見せた(ただし、ブランド全体としてのヴィンテージ市場での評価にはまだ課題がある)。ブラッド?ピット(Brad Pitt)氏が新作の金無垢222を着用している姿が話題になり、さらにそのあとSS製のヴィンテージモデルを身につけている姿も目撃された(当時、彼はまだブライトリングのアンバサダーだったにもかかわらず)。またフィリップス?ジュネーブのオークションでは、おそらく1点ものと思われるホワイトゴールド製の222が57万1500スイスフラン(当時の相場で約8950万円)で落札されている(オークションでのヴァシュロンウォッチとしては、史上7番目に高い落札価格である)。

まったく驚くことではないが、プレスリリースが出された途端に、SS製の222が欲しいという声が上がった。SSはYGよりもかなり軽く、見た目も控えめな印象を与えるうえ価格も手ごろになる。それに多くの人がYGよりもSSを望むことくらい、ヴァシュロンならすぐにわかったはずだ。ではなぜ最初からSS製を出さなかったのか?

ヴァシュロンは最初から急ぐ必要がなかった。YG製の222が飛ぶように売れると分かっていたからだ。ブランドの関係者にSSモデルについて尋ねたところ、製品サイクルは7年だとか、新しいケース素材のためのツール準備には時間がかかるといった説明を受けた(正直なところ、数日から1週間もあれば十分だろう)。またYGの需要がこれほど高まるとは予想していなかったという話も聞いた。それでも、彼らの話からはYGの222への需要が落ち着くのを見届けてから、SSモデルで再び盛り上がりをつくり出そうとしているという印象を受けた。すべてはタイミングの問題であり、そのタイミングが今、また訪れているということだ。

それから3年、ついに待望のバージョンが登場した。上の写真がその証拠で、内側のエンドリンクにある刻印がそれを物語っている。ヴィンテージウォッチ愛好家のみの要望に留まらず、ヒストリーク 222がついにSS製で発売されたのだ。このモデルはブランド創業270周年に合わせて発表された。何人かのブランド関係者によると、この270年という大きな節目を盛大に祝うことが特に重要だと考えられていたという。このプロジェクトは元ヴァシュロンCEO(現カルティエCEO)のルイ?フェルラ(Louis Ferla)氏が熱い情熱を注いだものだそうだ。270周年を祝うスタートとして、これ以上ないほど素晴らしい1歩を踏み出したと言える。

SS製ヒストリーク 222、Ref.4200H/222A-B934

ここ数年(あるいはもっと長く)ヴァシュロンを追いかけている人なら、この222の名前にピンとくるはずだ。スペックについては後ほど詳しく触れるとして、まずは価格の話から始めたい。見た目も素晴らしくつけ心地のいい時計を、ヴァシュロンがつくるだろうことについては心配していなかったが、この時計の成功を左右する大きな要因は価格だ。YG製ヒストリーク 222は1100万円(税込)で、同じ素材であるロイヤル オーク “ジャンボ” 16202BA(税込で1160万5000円)と比べても競争力がある。だがどのブランドにも言えることだが、注目度の高い時計が予想以上の需要を集めるとわかれば、それに乗じて利益を最大化しようと価格を吊り上げる可能性があるのも事実だ。

SS製222は利益を最大化する絶好のチャンスだ。SS製222について同僚と話したところ、全員が“価格は4万ドル(日本円で約630万円)から始まってはいけない”という点で一致した。475万2000円(税込)という価格を見て、個人的には特に衝撃を受けなかった(だからといって簡単に手に入れられるわけではない)。しかし同価格帯や仕上げのクオリティを考慮すると、この価格は妥当と言える範囲に収まっている。よくも悪くも、このクラスの時計が落ち着くべき価格帯だ。また、これはすでに2020年や2021年のような状況ではないことも示唆している。ブランドも今では、すべてが都合よく進むわけではないと理解しているようだ。ヴァシュロンがこのような考え方をしているとは言わない。ただ、こうした懸念を抱くことが多いのも事実だ。


その代わり、ヴァシュロンはとても素晴らしい時計に対して適正な価格を提示した。この価格は競争力があり、SS製のロイヤル オーク “ジャンボ”よりも安価だが、その比較についてはのちほど詳しく触れる予定だ。価格はブルーダイヤルのオーヴァーシーズ 41mmより28%高く(YG製の222はピンクゴールドのオーヴァーシーズより22%高い)、さらに生産数が少ないと見られる。確かに、475万2000円(税込)はどの基準から見ても高額であり、ブランドのラインナップにある一部の金無垢モデルよりも高い。しかしラグジュアリー商品における価格設定は、単に素材や労働コストに基づくものではないということを私たちは知っている。ほかの選択肢と比較してみても(これについても後ほど触れるが)、この価格は決して不相応ではない。


新しい222A(AのacierはSSを意味する)はほとんどの角度から、そして手首につけた感覚でも、新品同様のヴィンテージウォッチのように見えるし感じられる。ただしディーラーが言う“新古品”とは違う。実際には、文字盤にはわずかな色褪せがあり、夜光塗料が黄色味を帯び、さらにいくつかの小さな傷も見られる。まるでタイムカプセルのようだが現代的な改良がしっかり施されており、いわばレストモッド(レストアとモディファイをかけ合わせた造語)的な仕上がりだ。サイズはほぼヴィンテージジャンボ222と同じで、直径37mm、厚さ7.95mmである。ただし、オリジナルが7.2mmだったのに比べると少し厚みが増している。ケースとブレスレットはサテン仕上げで、エッジ部分のポリッシュ加工がアクセントになっている。文字盤には過剰なフェイクヴィンテージ感はなく、マットなブルーの仕上げに針やインデックス、ミニッツトラックにかけてトリチウムダイヤルを思わせる控えめなオフホワイトのアクセントが加えられている。


初めて箱を開けたとき、ブルーの文字盤には驚かされた。金無垢の222にゴールドダイヤルが採用されているように、グレー系のトーンダイヤルが来るだろうと予想していたからだ。とはいえオリジナルの222にはいくつかのバリエーションが存在するため、このブルーダイヤルも時計に合わないわけではない。ただ、このモデルがひととおり成功を収めたあとに、ほかのダイヤルバリエーションが登場する可能性もあるのではないかと思う。


もちろん、これは今の時計であるため、現代的な(あるいは“ほぼ”現代的な)ムーブメントが搭載されている。ただし、ヒストリーク 222(SSでもゴールドでも)についてひとつ批判を挙げるとすれば、この時計を駆動するCal.2455/2が、アメリカで投票権を得られるくらいの年季を重ねたムーブメントであることだ。とはいえそれが悪いというわけではない。動くならそれで十分という考え方もある。しかしこのムーブメントは、オーヴァーシーズと比べたときに何にお金を払っているのかを際立たせる。特にスタイルと希少性だ。こうしたモデルにおいて、このような状況は珍しいことではない。たとえばロイヤル オーク “ジャンボ”やノーチラス 5711Aが、41mmのロイヤル オークやアクアノートに比べて技術的に優れているわけではない。ただし、それらは歴史性や本物らしさ、そして快適さといった些細な理由で“特別なもの”になるのだ。しかし、ヴァシュロンは技術的に素晴らしい能力を持つブランドであり、それを特別モデルであるレ?キャビノティエのような作品だけでなく、こうした基本的なモデルにも生かしてほしいと思う。


ムーブメントは26.2mm×3.6mmと非常にコンパクトで、これが特徴的な薄型ケースのプロポーションを実現している。その仕上がりは下の画像で確認できる。ケースの底部や上部エッジには、面取り加工が施された美しい仕上げが見て取れる。超薄型ムーブメントにありがちなことだが、ブランドはパワーリザーブを犠牲にせざるを得ず、この時計の駆動時間はわずか約40時間にとどまっている。また精度に関する公式な認証も与えられていない。ただし、それらがこの時計の本質だとは思わない。


これはヴァシュロンのジュネーブ?シール取得モデルのひとつである。ほとんどのヴァシュロン製品がこの基準を満たしているが、一部の“フィフティーシックス”には該当しないバージョンも存在する。仕上げは非常に美しく、現代の消費者の要求に応えるクオリティとなっており、時計全体のモダンなフィット感や仕上がりに調和している。ヴィンテージ222のロゴは、この復刻版ではゴールドローターに刻まれている。オリジナルでは裏蓋にあったが、復刻版ではローターへ配置することで、ヴィンテージらしさをさりげなく演出している。


文字盤はマット仕上げで、1970年代のホーリートリニティ(オーデマ ピゲ、パテック フィリップ、ヴァシュロン)のなかでも、複雑なパターンや質感を避けてシンプルなデザインを採用した唯一のモデルがこの222だ。色が褪せたヴィンテージウォッチに比べてこのブルーダイヤルは鮮やかで、光の角度によって濃淡が変化する。文字盤のインデックスや針、そしてマルタ十字のロゴはすべてWG製で、インデックスと針にはスーパールミノバを塗布。よく見ると針全体が発光するわけではなく、先端部分の約3分の1だけが塗られているようだ。また、“AUTOMATIC”の文字にはヴィンテージのフォントが使用されている。


全体的なフィット感に話を戻すと、ひと言で言えば“快適”としか表現しようがない。サイズに対して大きく感じるか? ある意味ではそうかもしれない。では手首につけた時に思ったより小さく見えるか? そんな感じもする。写真や実際に手首で見た印象では、文字盤のサイズはブルーダイヤルの36mmオイスター パーペチュアルに近い。ただし厚みと幅のバランスが適切な一体型スポーツウォッチが快適なつけ心地を提供するのと同様に、222の体験は少し違う。ロイヤル オーク以上に、まるでカフをつけているような感覚に近いのだ。


ブレスレットはクラスプに向かってテーパーしており、このクラスプは1977年のオリジナル222に採用されていたデプロワイヤントスタイルではなくバタフライクラスプになっている。これは現代の製造技術を活用して時計に少しエレガンスを加えた、数少ない控えめなモダン化のひとつだ。オクタゴン形状のリンクデザインや一貫したサテン仕上げ、あるいはほかの要素が影響しているのかもしれないが、222のブレスレットは16202と比べて手首の上で細くも見え、広くも見えるという独特な印象を与える。また面取りされたエッジは、16202ほど目立たない仕上げとなっている。だがこの違いは、ケース幅が2mm小さいことが関係しているのかもしれない。そのためブレスレットのテーパーがより控えめに見えるのだろう。


ここで日付窓について少し触れておこう。ヴァシュロンもパテックも、一体型ブレスレットの時計では日付窓の色を文字盤と合わせることをしていない。16202が5402から進化する際に採用されたカラーマッチは現代的な要素だが、222のようなヴィンテージ復刻モデルの場合、白いデイト窓(さりげなくセリフ体のフォントが使われている)がヴィンテージ感を強調している。1977年当時、日付の窓を文字盤の色に合わせるなんて考えられなかったのだから、今それをする必要はない。YG版の復刻版と同様に、このSS版もオリジナルに忠実で、ひと目見ただけでヴィンテージと見間違えるほどだ。日付窓のデザインから右下のラグに施されたYG製のマルタ十字まで、その再現度が完成度を物語っている。


新しいSS製222と1日過ごして最後に感じたのは、ヴァシュロンがオリジナルのデザイン言語をどれほど発展させて、その後継モデルであるオーヴァーシーズをつくり上げたかという点だ。現代のオーヴァーシーズは本当に完成度が高い。オーヴァーシーズ初代モデルについて詳しく知りたいなら、ベン?ダン(Ben Dunn)氏のサイトWatch Brothers Londonの解説をチェックするのがおすすめだ。初代は少し時代錯誤なところがあったが、それが懐かしくも魅力的だった。個人的な意見だが、第2世代は“もう少しで完成”という印象を受けた。コンセプトがまとまりつつあったが、まだ完全ではなかった。しかし現行世代を見ると、そのコンセプトが完全に進化しきった最終形だと感じられる。この新生222と、ウルトラ シン パーペチュアル カレンダーを備えたオーヴァーシーズを並べてみると、ヨルグ?イゼック氏のデザインから始まった48年の歴史が、ひとつの物語としてきれいに完結しているように思える。